暮らしと和菓子

京都には、さまざまな年中行事があり、人々の生活には折々の菓子がたたずんでいます。

1月 迎春」お正月餅・「成人の日」お赤飯
2月 「旧小正月」お鏡餅・「初午」お赤飯
3月 「雛祭り」菱餅、ひちぎり・「お彼岸」おはぎ
4月 「ご入学」祝赤飯
5月 「端午の節句」ちまき、柏餅
6月 「大祓い」水無月
7月 「土用の入り」あんころ餅
8月 「お盆」お迎え団子、お送り団子、蓮菓子
9月 「敬老の日」栗赤飯
「お彼岸」おはぎ
「中秋の名月」月見団子
10月 「各種レクリエーション、催し」赤飯采入弁当
11月 「七五三」祝赤飯
12月 「事始め」お鏡餅

節目節目の御祝には

お赤飯、祝万寿をご用意いたします
帯の内祝、出産内祝、命名内祝、お誕生祝、入学内祝、還暦お祝、喜寿の祝、米寿の祝、卒寿の祝、白寿の祝、快気内祝、本復内祝、地鎮祭祝、棟上げ祝、新築内祝、開眼内祝、建碑内祝、 さらには、周年行事のお祝い、ご婚礼引き出物、等々

慶弔のお餅には

産の餅

新しい生命の誕生を祝い、男児は三重女児は二重の白餅を配ります。

背負い餅

一歳の誕生日を祝い「足が丈夫に育ちますように」という願いをこめて、一升餅を背負わせて歩かせます。

傘の餅 ⇒ 飾り方

四十九日の法要の仏前に供えます。下段から(16,16,9,4,3,1)と積み上げ最後に傘の型の餅をかぶせます。
小餅は参会者に配り傘型の餅は四方から引きちぎる習わしがあります。
→宗派によって異なります。

赤飯のなぞ

豆ともち米を混ぜて蒸し上げるお赤飯。日本人の祝い事に欠かせないもので、お芽出 度い席にはつきものです。小豆あってのお赤飯。創業明治八年、鳴海餅本店では忙しい 時で1日1トンものお赤飯を蒸し上げます。その時ばかりは小豆もフル回転です。 小豆の煮汁はもち米に色をつけるために利用します。色つけしたもち米を冷水に浸して 1時間。もち米と小豆を混ぜ合わせ、蒸すこと20分。お赤飯の出来上がりです。 味・色・香り、小豆の力はお赤飯のすべてにいきわたります。 しかしこのお赤飯、昔は「葬式に赤飯」だったのです。江戸時代の文献によると「赤飯 を凶事に用いる事、民間の習わし」とあります。 ある調査でも葬式にお赤飯を用いるところは、東北地方から南西諸島に点在し昔から広範囲にわたって凶事にお赤飯が使われていたことが示されています。 これは小豆の赤い色に関係すると言われ、古くから日本人は赤い色に特別な気持ちを持 っていたようです。赤い色が魔力を秘めていると解釈され、赤い力で不幸の厄払いをしてきたのです。

ではなぜ、凶事に使われていたお赤飯が祝い事に使われるようになったのか?

江戸時代、疫病が大流行した時期がありました。「疱瘡(ほうそう)」今で言う天然痘 で多くの人々が犠牲になりました。あまりにすさまじい病に人々は疱瘡の悪い神様「疱 瘡神」がいて疫病をつれてくるのだと考えました。そこで疱瘡神を喜ばせ病気を治そう と考えました。疱瘡神は赤い色を喜ぶとされ、病気にかかった子供に見せる絵本は赤一 色でした。絵本だけでなく部屋じゅうのものに赤い色を使っている絵図も残されていま す。そこでこの頃は、赤いということでお赤飯が食べられました。そして赤い色のお蔭 で病気が治った時厄払いとしてもう一度お赤飯を食べたのです。疱瘡にかかった江戸庶 民にとってお赤飯はなくてはならないものでした。やがて江戸末期になると疱瘡を予防 することができる様になり、庶民の間で病気を治すために赤いものを食べるという風習 の意識が薄れていきました。ただその中で病気が治った時の祝としてお赤飯を食べるだ けの風習が残り今に至っているのではないかと考えられています。